お墓
Q. 近年、お墓に対する意識が大いに変わって来ています。
A. そうね、お墓やお葬式のあり方が変わってきていますよね。時代がめまぐるしく変わっていっているのを感じます。
家族制度の崩壊という言い方もされますけど、それは違うと思います。崩壊ではなくて、変化とか多様化といった方がいいじゃないでしょうか。
Q. 世界的に見れば、「家族だから一緒の墓に入る」は当たり前ではありません。
A.「死んだら夫と一緒の墓に入れないで欲しい」という話はちょろちょろ聞いてことはあるけれど、実際そうした人に会ったことはないなあ。
どれほどの数か知る由もないけれど、我慢して入っている人もいるんでしょうね。
生きている時は、夫婦でも互いの用事や仕事で別々に過ごす時間がたっぷりあったけれど、死んじゃってお墓に収まったら未来永劫一緒なわけで、それはある意味極端ですよね。それが嫌って、わからないでもない(笑)。
Q. 先生自身のお墓に対する考えはどのようなものですか?
A. 僕の実家のお墓はごく普通の類のものです。僕は長男だけど子供がいないから、将来的には墓は弟に任せるつもりです。
僕が今個人的に興味あるのはゼロ葬です。火葬場でただ焼くだけで、骨は引き取らない。骨壺も何もなくて、灰は業者に任せてしまうというものです。
海に散骨も樹木葬もしなくて、ゼロ葬。つまり、実家の墓には入らない。
Q. 引き取られない骨や灰はどこへ行くのでしょう?
A. だいたい骨は全部骨壺に収まりきらないわけで、もともと業者が残りは持って行って処分するという制度はあったわけです。持って行く場はどこかにあるのでしょう。
Q. 奥様はゼロ葬という決断に?
A. 他のことがそうであるように、「好きにどうぞ」と(苦笑)。
葬り方を見ると、インドならガンジス川に流すとか、鳥葬もある。宗教や思想によって、墓を持たない人はいくらもいます。それも楽ですよね。
Q. お墓は面倒と思う反面、お盆に帰省する習慣から抜けらないのが日本人ですね。
A. 近隣の国々もそうですけど、代々墓を守るというのは、大した文化です。
お盆に道路が大渋滞しても、真面目に帰省してね。
自宅の近くに葬儀場が建つのは嫌だとか、死をタブー視する声はしっかりあるわりには、墓参りには行くんですよね。自分のうちのものはいいんだよね。
Q. 都会限定で考えると、150年後に墓場や霊園は残らないのではないかと?
A. 残ってないでしょう。あっさりなくなるんじゃないかな。
Q.それでは、肝試しが出来なくってしまうではありませんか。
A. 肝試しは廃屋でもできるけど、立ち入り禁止の札が立てられて、入れなくなってしまってったりするからね。
僕は墓場で肝試しはやったことはないですね。家の近くになかったし、「墓場で遊ぶな」と言われて育ちました。
「墓場で転ぶな」とも言われましたが、それは多分、死者に敬意を払いなさい、はしゃぐ場ではない、静かに歩きなさいという教えでしょう。
Q. 墓参りという行為がなくなってしまっては残念ですね。
A.僕は不勉強なのであまりいろいろ言えないのですが、弔いには人の理解の範疇を超えた感性が含まれていると思います。
死者達と生者達をつなぐ力というものがあって、それを再確認するのが、墓参りという行為なのかもしれません。
死者と結びついている感覚が日常的なら、なんとなく習慣としてやってた墓参りも変わっていくんじゃないかな。
2019年8月28日 秋葉原マクトゥーブにて