タトゥー

インタビュアー)タトゥーはお好きですか?

中川)はい、好きです。魅力的だと思います。
ファッションタトゥーというのは最近の流行りですけれど、もともと世界的には、信念の表現であったり、集団の帰属意識を高めるものであったり、成人になった証しであったりと、ぱりっとした意思や立ち位置の表示というものでしたよね。
戦前といった昔の話ですが、一部の日本人は「刺青・入墨(いれずみ)」と書いて「覚悟」と読んでいた時期があったと聞いています。

 

インタビュアー)江戸時代の日本では、男気の表れでした。

中川)覚悟ですものね。江戸時代は手彫りだから、相当痛かったでしょうね。色を入れるのも相当痛いらしいし。
どんなに痛くても、一旦入れ始めたら、途中でやめるわけにはいかないし。長い期間痛みに耐えるのには、男気はなくてはならなかったでしょう。
江戸時代には、詐欺や横領を働いた窃盗犯は手足や顔に墨を入れられるとの習慣があって、つまり犯罪者に刑罰として与えられたのが入墨です。
それと、犯罪とは無関係の一般の人々が男気を表す「彫物(ほりもの)」は別物だったのに、最近になってそれらが一緒に扱われ混同されるようになったのは、大変な間違いです。日本語の問題です。
入墨と彫物は分けなければいけないのに、いつの間にか彫物という言葉が消滅してしまって、入墨という言葉が全てを表すことになってしまった。
そしてタトゥーという言葉が出回って、それで「過去には犯罪者、近頃は反社会的な人々のものと一緒」という印象が定着してしまったという、残念な結果になったわけです。

 

インタビュアー)日本人に比べ、海外の人のタトゥーに対する見方は柔軟みたいですね?

中川)彼らは反社会的な人々を連想しませんからね。そして、軍隊とか部族の帰属意識というものは大きいですね。
テレビを見ていると、サッカーやラクビーといった運動選手に綺麗なデザインのタトゥーを入れている人は多いと感心します。

 

インタビュアー) 先生個人がお考えになる、現代の日本人の彫物の美学とは?

中川)古い考えと批判されるのかもしれませんが、見えるところに入れて威嚇するように街を歩くという行為はいかがなものか、と思います。

 

インタビュアー)日本社会はタトゥーを受け入れなければいけない時期に来ましたが、すんなり出来るでしょうか?

中川)これだけ外国人旅行者が増えた今、気持ちや制度の切り替えは必須でしょう。今まで頑なに温泉とか銭湯の出入りを禁止していたけれど、もう無理ですね。
受け入れは結構すんなり出来ると思います。
日本人って適応力があるじゃないですか。宗教にもやたらと寛容だし、世界中の料理を日本流にアレンジしちゃうとか(笑)。
入墨(刺青)という言葉はなくして、タトゥーという片仮名語で生き残って行くのかな。

 

インタビュアー)そうやって時代とともに変わって行く?

中川)入れる技術だけでなく、消す技術も随分と進化しているみたいですよね。
昔と違い、今はレーザー手術で結構綺麗に消せるようになって、ほぼ痕跡がわからないくらいになったらしいです。そうすると、入れるとの決断も昔より大袈裟に構えなくてよくなるわけですよね。どんどん人の考え方が変わって行くのでしょう。
欧米諸国のタトゥーの技術を持った日本人の職人が増えてきていて、いわゆる彫物とは違ったタトゥーの世界が進化していると、サイトなんかを眺めていると感じます。
その分、和彫の職人は少なくなっているのかもしれませんね。
伝統的な観音様とか昇り竜や唐獅子牡丹といったデザインは、反社会的な人々を象徴しているところもあるから、そういうのは減っていって、もっと柔らかい系のデザインが伸びていって、いつかは気軽なファッションの表現の一つになるんじゃないかな。それも楽しいでしょうね。

2019年09月25日 秋葉原マクトゥーブにて

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