入院して感じた日本の医療事情
Q. 先々月初旬、唐突になかなかな医療ドラマを展開なさいました。
A.そう、いきなり(苦笑)。
子供の頃から普通に健康で、そう医療機関に頼ることもありませんでしたが、救急搬送されて入院する羽目になりました。
激しい胃の痛みと吐き気が始まって、どんどん激しくなって、のたうちまわるといった状態にまでなりました。夜の11時くらいだったか、救急車を呼ぶことにして、前にお世話になったことのある病院に搬送してもらいました。しばらく原因がわからなかったけれど、結局は胃潰瘍でした。
Q. 初救急車体験ではなかった?
A.過去に何回か乗ったことはあります。ぎっくり腰で運ばれたりとかね(苦笑)。
救急車は乗り心地が悪いんですよ。路面の振動がもろに伝わります。あのサスペンションは改良出来ないものかなあと思います。ストレッチャーもね。あれにはクッションを入れて欲しい。病院の扉の段差とかでガタっとすると、結構響くから辛いんです。なんとかならないかな。
Q. 初入院体験でもなかった?
A. 入院も前に経験しています。小学生の時にちょっとした事で一回と、大人になってからはぎっくり腰か。あれは絶対安静だから、入院させられました。
Q. 今回の入院はどのような具合でしたか?
A.二晩居ましたが、ひどかったですね。最初の1日半は痛みでのたうちまわっていました。
耐性が出来ちゃっていたみたいで、なかなか鎮痛剤が効かない。人より痛がりなのに人より効かないって、あんまりだよね。
でもまあ、丁寧に説明してくれるお医者さんとテキパキとした看護師さんに恵まれたのは、ありがたかったです。この点は、プロ意識がより高まったというか、昔と比べて大きく進化しましたよね。おかげで、苦痛にのたうちまわる病人として、つつがなく入院生活を過ごしました(苦笑)。
Q. 検査はたくさん?
A.胃カメラは合計3回くらいやったかな。大腸カメラと、CT 3,4 回。MRIを1回。
ホルモンの血液検査を数回。注射針もMRIも平気です。カメラも慣れてます。もとからいろいろやっていたから、検査のベテランってところかも。
初めて大腸カメラの検査をした時は、多分40代でした。終わっても平気で普通にその日を過ごせたけど、今回は違いました。
大腸カメラをやったその日はそれで終わりでしたね。へろへろで動けない。家に帰って寝ました。
Q. 思いがけなく、副腎の腫瘍が発見されました。
A.良性だろうとの結果をもらうまで、三週間くらいかかりました。
細胞をとって調べるわけにはいかない臓器で、MRIと血液検査でしかわからないそうで、時間がかかったわけです。悪性か良性かの結果を待っている時間が、一番辛かったかな。
占いでも「待つしかない」出ると切ないじゃないですか。「待つしかない」ってやっぱりつらいね(苦笑)。今回つくづく思いました。
Q. その間の気晴らし法は?
A.散歩はたくさんしました。基礎体力が落ちていたからどうにかしなきゃと思ったから、せっせと毎日散歩しました。
あとはねえ・・・仕事してましたね。退院後一週間は休んだけれど、復帰してからは時間を短縮とかせず、通常通りに。一日だけ休んだけど、あれはお水取りに行くための休みでした。あ、考えてみれば、一番の気晴らしは仕事だった!
Q. 今回入院を経験なさって、日本の医療とか病院とかに対して何かご意見は?
A. 世界の医療現場を知っているわけではないから、何とも言えないけれど・・・。個人的な事を挙げると、大部屋は苦手です。6人とか8人とかでなくて、せめて2人とか4人といった程度の部屋が増えて欲しいなあ。最低限のプライバシーの保護はお願いしたい。
でも健康保険が充実している国にいるのはありがたいと思いました。検査検査で、費用が結構かかったもの。
日本語が通じるのもありがたい。そんなの当たり前って言うかもしれないけれど、外国で医療期間にかかった経験のある人には、言葉が通じないことがどんなに心細いかわかってもらえるでしょう。
あとは、末期癌といった深刻さではない患者に対しても、痛みを緩和するのにためわらわないで欲しいです。医療用麻薬とは言わないけれど、もう少し何か積極的な策をとっても良いんじゃないかな。
患者の立場にすれば、早く痛みから解放されるのが望ましいに決まっているじゃないですか。痛みが長引いたせいで僕は体力の消耗が激しかったわけで、もっとがんがん痛み止めを入れてもらえたら、回復に違いがあったはずです。
ようやく胃カメラ検査に全身麻酔を取り入れたりするようになったけれど、まだまだでしょう。医学界には、痛みを取り除くことにもっと研究して欲しい、積極的になって欲しい、と思います。
Q. 落ち着きを取り戻した今、一連の流れを振り返っての、締めくくりの一言をお願いします。
A.仲間同士で、「昭和から平成に切り替わった時、何してた?」って話してましたよね。
将来、「平成から令和に切り替わる時、何してた?」といった話題になったら、「俺は痛みでのたうちまわっていた」って言うんだろうな、嫌だなあ(爆笑)。
2019年6月07日 秋葉原マクトゥーブにて