「大アルカナのカード:【XII吊るし人】」
今回のトピックは「大アルカナのカード:【XII吊るし人】」です。
インタビュアー)今回は【XII吊るし人】を取り上げます。物事に行き詰まっている時や試練に直面している時に出るカードです。
ウィキペディアでカードの正位置の意味合いを調べると、修行、忍耐、奉仕、努力、試練、着実、抑制、妥協、と示されています。逆位置は、痩せ我慢、投げやり、自暴自棄、欲望に負ける、といったあたりです。
中川)ウィキペディアの解釈と僕の解釈が異なるのはいつものことですが、今回は結構な開きがありますね。
正位置だと、僕は奉仕、着実、抑制、妥協、とは捉えません。その上で、「自己犠牲が実り希望が生まれる」「良い結果を得るため、優先順位を変える」を追加します。
逆位置に言及すると、まずは「自己犠牲が報われない」をあげます。ウィキペディアには「痩せ我慢」と書いてあるようですが、「実らない痩せ我慢」でしょう。
投げやりというのも僕は当てはまらないと思います。「欲望に負ける」は【XV悪魔】が相応しいのでは。
インタビュアー)占いにおける、心理と鍵のポジションになると?
中川)心理であれば、「苦しい現状から抜け出したい」「この我慢の先に何が待っているのか知りたい」。鍵のポジションなら、「計画練り直してください」「優先順位を見直してください」。
「優先順位を見直せ」はとても大事な点で、僕は重く見るべきだと考えます。自分が大切と思う要素を引っ込めて、他者や違うものを優先する、そうすることによって、より高い次元に進む。
インタビュアー)絵柄の解説をお願いします。
中川)吊るされている人物は、北欧神話の最高神オーディンと言われています。この木はみずみずしくて、「これから成長して花を咲かせて行く」と、吊るされている人物の未来を示しています。黄色い光は「苦行が実る」という意味。シャツの水色は平穏。パンツの赤は情熱。
顔にうっすらとした笑みを浮かべているのは、苦行は無理強いされているのではなく、自ら進んで臨んで行っているというメッセージです。
靴を履いているのは、縄から解放された時にすぐ行動に移せるようになるため。黄色は非常に活動的という暗示です。
インタビュアー)類似する意味を持つカードを探してみたのですが、自己犠牲といったものは見あたらなそうです。「行動を起こすな」という点から見て、【ペンタクルナイト】正位置や【ソード1】の逆位置はどうでしょうか?
中川)【ペンタクルナイト】は「足を止めて考える」です。【ソード1】逆位置は「動くと危険」と示しているから、二枚とも似ているとは言えない。「自分を抑えて」は【VIII力】だけど、考え方や優先順位を変えるという意味合いは含まないから、【XII吊るし人】に類似するカードはないでと言うのが正しそうです。
インタビュアー)自己犠牲という概念は、主従関係で縛られていた封建時代は普通にまかり通っていましたし、戦前戦中もそうでした。現代の人々、特に若い世代は、時代遅れといった印象を抱いてしまうのかも、と考えてしまいます。
中川)ただの我慢と捉えてしまえば、そんな感情が湧いてしまってもおかしくないでしょう。ここでの自己犠牲は、忍耐の先に実りや希望が待っているわけで、時代に合っている合っていない、という議論とは違います。そこははっきり認識してもらいたいです。
インタビュアー)がんがん突き進みたい時に【XII吊るし人】が出ると、切ないですね。「どんなに頑張っても無駄だよ」ですものね。
中川)そうですね、動いたところでゼロかマイナスしか生まない、って告げられてもねえ。
自己犠牲という言葉が少々強いんじゃないかな。どうしても、必死に悶絶させられそうな感じがしてしまいますよね。吊るされている人物は、穏やかな笑みを浮かべているでしょう。このカードには、耐え忍ぶことと喜びとが同居しているんです。
「もしかしたらそんな辛くないんじゃないの?」「一旦主張を引っ込めて、視点を変えて検討すると、案外すんなり解決策が見つかるかも」という見方で良いと思います。
繰り返しますが、忍耐の先には希望が待っています。試練を乗り越えた時、なぜ耐え忍ばなければいけなかったか、納得する理由が見つかります。納得すれば、それまで抱えていたもやもや感は消えて、達成感が得られるはずで、【XII吊るし人】は、決してがっかりするカードではありません。
2021年4月21日 秋葉原マクトゥーブにて