「2020年を振り返る」
下にコメントがはいります。
インタビュアー)
中川)そう、ハワイは楽しかったとか、呑気に思い出話なんかしてましたねえ。あのインタビューから直ぐ日本でもコロナウィルス騒ぎが起こって、思いもよらない展開になって、忘れられない一年になりました。まあ、世界中皆そう言っているんでしょうけれど。
インタビュアー)仕事的にはどのような一年でしたか?
中川)もともとは、攻めの姿勢でもう一歩踏み出そうと計画していました。ホームページを全面的に変えたりとかね。でもコロナですっかり気分が萎えちゃって、未だ手つかずのままです。
曜日にかかわらず、夜のお客さんがぐっと減りました。8時9時の予約は少なくなりました。昼間と夕方にシフトして、新しく始めた電話鑑定も急に増えました。
緊急事態宣言中は、店を閉めて自宅にこもりました。おかげで、コロナ鬱もコロナ離婚も、多少わかりました(苦笑)。
インタビュアー)お水取りを含め、遠出は中止された?
中川)お水取りには館山へ行きました。いわゆる旅行は葉山へ行っただけ。
2月、3月、12月と館山に、夏には葉山に、泊りがけで行きました。両方とも、子ども時代を過ごした場所です。葉山は小学校の二年生から四年生くらいまで、館山は五年生から中学校一年生まで。
インタビュアー)長い年月を経ての再訪は、感無量だった?
中川)それが全然記憶がないんだな(笑)。転勤ばかりだった親の都合で、僕の家族はどこへ移っても二年くらいしか暮らさなかったんです。小学校は三回転校して、昔の学校を訪れても、懐かしさは感じられない。通学路も、家がどこにあったかも覚えていない。
どこへ引っ越しても常に部外者で、「数年後にはここからいなくなる」とわかって暮らしていました。だから、変に冷めている子どもでしたね。故郷と呼べる場所もないから、聞かれても答えられない。
今はそうでもないけれど、昔は「ご出身はどちら?」と尋ねられることは結構多かったですよね。
記憶は無いようなものだったけれど、館山も葉山も行って良かったと感じました。葉山を訪れた際は、いろいろなものがさっぱりした、という気はしましたね。自分の中にあったもやもやがすうっと消えたみたいな。
インタビュアー)幼少時からの「ひたすら部外者」といった経験は、占い師という仕事にどのような影響を与えているのでしょうか?
中川)生き方には影響を与えたとは思うけれど、仕事に影響を与えているとは思いません。与えてはいけないんじゃないかな。占い師は、自分の人生観を全面に出してはいけない職業です。全面に押し出すのは自分の知識です。
インタビュアー)健康面に目を向けると、昨年は秋に手術を受けられました。
中川)二つある副腎の一つを摘出するという手術を受けました。腹腔鏡での手術でしたから、傷口は小さかったし、翌日から歩かされて、回復は早かったです。
インタビュアー)人一倍怖がりで痛がりの先生としては、清水の大舞台から飛び降りんばかりの決断だったのでしょうね?
中川)いやあ怖かった、ホント。腫瘍は「放置していたら何年後に何パーセントの確率で悪性になる」と説明を受けていたけど、手術したくなくて、絶対しないと決めていたんだけど、女房に尋ねたら「して欲しい」との返事が返って来たので、怖かったけど女房の希望に従いました(苦笑)。
「自分の健康問題なんて怖くて占えない!」とためらっていたけれど、ある時思い切って「手術はどうなる」と占いました。
最終結果にワンド6逆位置が出たので「少し入院が長引くかな」と思ったら、結局三日で退院の予定が一週間に延びました。
手術して、「手術を勧められて迷っています」と相談にみえるお客さんの気持ちが多少わかった気がします。
インタビュアー)働き方や学び方を始め、生活全体がすっかり変わりました。公的な給付金や支援金を巡って、不平不満や混乱が募ります。我々は、このパンデミックから何を学べと言われているのでしょう?
中川)ワクチンの供給ほか様々先行きはまだまだ不透明だから、この時点では何とも言えませんね。見解をまとめられる時期はまだずっと先でしょう。
何を学び伝えていくべきなのか、状況を見据えながら考えを巡らして行きたいと思っています。
2021年1月20日 秋葉原マクトゥ