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偶然とインド

全ては偶然である

20代の放浪時期に一年ほどインドにいました。

1970年代初めの頃のアンダーグラウンドはインドブームでした。60年代のヒッピートレイルは終わってたようだが、現地にはまだまだ変な外国人ばかりだった。

そして、おれだって普通のインド放浪者のように、カルカッタに着いたら夜行列車で西へ向かいベナレスへ、そしてリシュケシとか考えてた。ところが!!

冬のカルカッタがとんでもなく寒かった。ハマりこんだバンコク沼からようやく抜け出し、カルカッタ空港に着いたが季節が冬だった。

タラップを降りるときは、バックパック一つだけ背負い、耳を隠すくらい伸びた髪が風に揺れていたと思う。
うん、振り返ると若い頃のヤサグレ姿は案外と良い。
だが寒い。宿はドミトリーで毛布は一枚。大きな紙の地図を広げ(こりゃ西はダメだ、南に行こう)と決めて、南へ南へ。

移動は列車とバス。名前は忘れたが中堅都市や観光地、ターミナル地などを転々、ときたま「初めて日本人を見た」とインド人特有の瞳で見つめられながら南へ。
夜行列車内でサンダルを盗まれ、町に着いたら灼熱の道を裸足で歩き靴屋を探し値切っても無駄。これが(足元を見る)ってやつだと実感しながら、南へ。
物乞いにお金をあげてはいけないと言われていたが、列車で移動中に目の前で女性の物乞いがサリーを脱いでハンセン病かな、崩れた乳房を見せられた時はけっこうなお金をあげたりしながらダラダラ進んだ。

インドの列車は昔も2等車は満員で屋根にも人が乗ってた。だけど1等車はしっかりと座席指定でした。列車は古いが、幼少期の蒸気機関車の記憶があるから違和感はない。
だが、遅れる。一時間、二時間の遅延はザラ。指定席は列車の乗車ドア横に貼ってある紙に名前を書かれるだけなので自席を探すために雑踏のホームを歩く。MASAHIKO NAKAGAWAで窓口で予約しても、貼りだされてるのは微妙にスペルが違って(おれの席?)となった。

女人禁制のヒンズー寺院で、素っ裸になり腰布だけを巻いた姿で燈明皿を持ちながら洞窟の中のリンガに祈った。「ボン・シャンカール」

日本人女性サンニャーシンに一夜の宿を布施して何もせず寝た。翌朝、彼女は「不能」と罵って出て行った、あの町はどこだっただろう。

髭なんか一週間に一度くらいしか剃らなかった。髭剃り時、鏡の中に東洋人の顔を見てちょっと驚いたり。

夜はすることないから映画館。あの頃からインド映画は盛んだった。歌って踊ってのインド映画だけじゃなく、台詞は全く分からないけど悲しいのもあった。道路で座っていた物乞いが夕方に高級車に乗って帰るシーンでは観客一同大笑い。

インド半島が南で行き詰まりになって、船でスリランカ。二か月ほどいて再びインド。そしてGOAに行ってしまった。行く予定はなかったがビザ更新の為、イミグレが甘いという噂のGOAにいくしかなかった。(おれはイミグレの甘さなんて情報が必要なツーリストw)

何年過ぎただろう。

2025年11月5日、今夜は満月。なにを祈ろうかな。

だいぶ前に「俺だって大学行って就職したかった」と妻に愚痴った。
「あんたなんか会社員は無理、どうせ辞めてインド放浪して私と結婚してここにいる」と猫を抱きながら返ってきた。
そうなの?そんな宿命論は受け付けていません。

結婚したのは、冬のカルカッタが寒くGOAに行ったからだ!

ゴア→マナリ→ベナレス→ポカラ。これは、おれの意志だ。

1990年夏、ポカラで出会った男と都内で朝まで遊び歩いてた。
「一般人が多くなったから帰る」と、朝のスーツ姿通勤者の中をフラフラ歩いている36歳のTシャツジーンズ、スキンヘッドのおれ。

そしたら、10日ほど前に旅先で出会った女性と再会。そして、2?3か月後に入籍してしまった。この引きが分からん。理解できないままヨコハマで36年目に入る。

2027年国際園芸博覧会
二年後に横浜で開催されます。行きたい。インドにもたくさん咲いてた。世界中に色んな花が咲いている。おれは様々な花を観たい。

そして、ホントにインド人を100万人も日本に呼ぶの???
うっ……
日本はどのように変わるだろうか。

デリーの北、マナリ村にいた。

ベナレスから来たインド人若者と仲良くなり、彼がホテル・カリフォルニアの歌詞を文章にしてくれ、おれはボロボロの英和辞典で読み、二人でラジカセを聴き、笑ったり泣いたり、楽しんだりゲロ吐いたりしながら一か月ほど過ぎた。

マナリを出て、彼が教えてくれた住所を目指しベナレスへ向かった。たぶんテレビで観たことはあると思う。死者を広場で荼毘にふして遺灰は聖なるガンジスに流す。あのベナレス。

ベナレスのバザール。
人の多さ、鮮やかな色とスパンコールがキラキラするサリーを着た女性たち、まとわりつく物乞いをする子供たち、野良犬どもに吠えられ、野良牛や野良象をよけ、香辛料と腐臭に包まれ、大声で言い争ってる人たちの声に緊張。
ベナレスの野良犬は燃えかけの人肉を食べてるから気をつけろという噂もあった。

教えてもらった住所は、ポリスはダメなのはもちろん、一般人も様子を見て尋ねなきゃならないとこだったんで、辿り着くまでが大変。
もちろんガイドや通訳なんていない。いつものように、おれ一人。

ようやく辿り着いて準備をして、ネパールのポカラへ向かった。ポカラ滞在中の安ホテルは電気や風呂は無い。夜はランプ、シャワーはヒマラヤ山脈の雪解け水がとんでもなく冷たかった。
昼間は真っ白なヒマラヤ山脈が満月の夜は蒼く輝いた。

夜の明かり。ランプ、月、星、蛍だけ。

そんな安宿が何件かあった。ある日、晴れたので屋上で寝転んでたら、隣のホテルの屋上から「こんにちは」と声をかけられた。訛りが無いので聞いた瞬間に(日本人だ)と思った。

その後、1990年夏に彼と都内で夜明かしで遊んでた。あの日の朝の通勤時間帯、おれ達は異形のものと見えたかもしれない。

ポカラ→ヨコハマ
この流れが分からん。偶然としかいいようがない。少なくとも、おれの努力が実り、願いや希望が叶ったわけじゃない。でも、嬉しい。

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対談・カップエース

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